河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

三寒四温


                                 四 字 熟 語


                                       三 寒 四 温


立春を過ぎ、少しずつ暖かく春めいてくるさまを、三寒四温と優雅に表現する。
春を待つ心にこの四字熟語のいかに嬉しく響くことか。たしかにこの季節、寒い日が三日ほど続くと、あとの四日はやや暖かい、この繰り返しで春が近づく感じだから、会話にも文章にも三寒四温はしばしば使われる。

 

三という数字は正確に三回、あるいは三度という使い方も当然されて、孟母三遷(孟子の母が教育環境を考え、三度住居を移しかえた故事)などは正に三そのものであるが、冷汗三斗(冷や汗がしたたり出る)、一唱三嘆(詩文を読んで感嘆する)などは必ずしもそうではない。たくさん、たびたび、何回も、という意味だ。

 

三々五々は、あちらに三人こちらに五人と小グループが散財していることで、数を限定してしまったら正確ではなくなる。「三省堂」の由来である『論語』の「吾日三省吾身」(われわれ三たび我が身を省みる)の三省も、三度反省するという解釈、三つのことを反省するという解釈、そしてたびたび反省するという解釈もある。

 

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三位一体


                                  四 字 熟 語


                                        三 位 一 体


読みも書きも要注意。サンイ一体はだめ。サンミと読む。音につられて三身一体と書いたら、これも罰点だ。三つのものが一体となって機能を発揮することを三位一体といい、三者が心を一つにあわせる場合なども、これを使ってよい。

 

「教育が実をあげるには家庭と学校と社会の三位一体が必要で有る」という記述を教科書などでよく見かけたが、同じ筆法でいくならば、「高齢化社会を乗り切るには、老中青が三位一体でなくてはいけない」ともいえる。老年中年青年が譲り合い強力し合い知恵を出し合う社会が果たしてうまく実現するかどうか。

 

語源的にはキリスト教に由来し、創造主としての父なる神、贖罪者として世に現れた子なるキリスト、信仰経験に顕示された聖霊、この三つの位格を指すらしく、信者が十字をきる時、「聖父と聖子と聖霊のの御名にによりアーメン」と唱える。

 

老後の暮らしの三位一体は何かといえば、さしずめ、心・カネ・健康の3Kであろう。これにもう一つカミサンののKを足して、4Kが老後の男には必要だ。しかし小生、カミサンに先立たれ老後の暮らしに不自由している。

 

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清廉潔白


                               四 字 熟 語


                                     清 廉 潔 白


「私は清廉潔白だ。何一つ後ろ暗いところはないし、良心に恥じるところもない」と大見得をきった直後にウソがばれる、政財界にはこういう事件がつきものだが、叩けば誰で少しはホコリが出るのは普通だから、自ら清廉潔白と自負する人は少ない。むしろ自己弁護に使われる時の方が多いだけに、折角の綺麗な四字熟語もやや汚れた感じである。

 

心や行いが清らかで私利私欲がなく、不正や後ろ暗さもなくて真っ白の身、これが清廉潔白だから、これは他人が評してくれてこそ値打ちがある。とはいえ疑惑が生じ、あらぬ噂が立てられた時には弁明に立ち上がらざるを得ないのが人間だから、「噂は事実無根だ。根も葉もない噂で迷惑している」と声を大にして潔白を主張する。

 

それが事実であるという根拠が全くない場合を事実無根というが、濡れ衣を着せられるのは不徳の致すところ、火のないところに煙は立たずで、自ら清廉潔白と称する人はウサンくさい、と思ってよいのでは………。

 

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皇紀2682年


              建国記念の日 皇紀2682年』

 

2月11日は「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966年に「建国記念の日」に定められました。
神武天皇が即位した日を日本の建国された日として祝うこと紀元節〔きげんせつ〕)は、戦後占領軍の意向で祝日ではなくなりました。しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国を記念するための祝日を設けることとなりました。その際「紀元節」から「建国記念の日」に改正されました。そして、1966年に国民の祝日に認められ、翌年から適用されました。

建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そのものを記念する日だからだと言います。じゃあ歴史学者は、史実に基づく建国の日を言って見ろよ(怒)
建国記念の日は特別な行事は特にありません。ですから、日本国旗を各家庭で掲揚し、この機会に日本の歴史を家族で勉強してみることも面白いかもしれません。日本書記では、日本国を統一し初代天皇になったのは神武天皇であると書かれていますね。今年は、皇紀2682年です。

 

追記
国を愛する「愛国心」と云うとブサヨは直ぐ騒ぎ立てるが、三島由紀夫は嘗て、「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐわないのではないか。大和魂で十分ではないか」と語ったが、激しく同意するものです。
国を愛する心とは、「大和心」であり、これ即ち国学者本居宣長の宣う「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」、これに極まれりと思料するものです。大和心の象徴である「日本国旗」を掲揚しましょう。

 

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鶏口牛後


                                四 字 熟 語


                                      鶏 口 牛 後


有名な支那の故事「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ」を四字熟語にしたのがこれである。鶏の頭の方が牛の尻よりマシだ、大企業の下っぱ平社員に甘んずるより中小企業の社長の方が生きがいがある、というような意味で鶏口牛後は今でも考え方や会話の中に生きている。

 

牛後を牛のしっぽ、または牛の尻のアナと解説する本もあるが、しょせん大きなものにくっついていちゃ浮かばれない、そんなつまらぬ存在より思い切って小集団でいい、その先頭に立って活躍した方がいいじゃないか、という処世の法である。

 

現代人はかなりちがう。寄らば大樹の陰だ。「にわとりはつらい、牛のしっぽ方がラク」というのが若者たちの実感だし、「社長は苦労が多いからイヤだね。ヒラ取りが一番いい」これもサラリーマンの平均的願望らしい。とすれば牛後すなわち万年平社員はやっぱり落ちこぼれみたいで敬遠される。さしずめ牛の胴体の一部が一番居心地がいい、というところだろうか。

 

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清濁併呑


                                     四 字 熟 語


                                          清 濁 併 呑


このごろは四字熟語としてよりも、「清濁あわせのむ」という表現のほうがポピュラーだ。説明するまでもなく、清いことも濁ったこともどちらも同じように広い心で受け入れるというわけで、転じて度量が大きく包容力のある例えに使われる。

 

世に大人物といわれる人は皆この傾向があって、「あの人は偉いね、清濁あわせのむところは流石だ」と感心され、本人もまた、「わしの胃袋は大きい、ご馳走も残飯も何でも入る」などと豪快に笑うが、意地悪な見方をすれば、濁ったやつをうまく使いこなすことが大物の大物たる所以ということになる。清い人だけを選んで付き合うようじゃとても出世は出来ませんよ、という裏読みも出来るだろう。

 

人生はたしかに清いことばかりではないし、清潔な人ばかりでもないから、濁ったこともたまには受け入れ、濁った人とも我慢して付き合わなければいけないが、清濁併呑の処世術は口でいうほど簡単ではない。度量の大きさは時として正義感や潔癖感に目をつぶることにもなるから、普通の人にはこういう芸当は難しい。

 

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気宇壮大


                                      四 字 熟 語


                                          気 宇 壮 大


成人式のスピーチほどやりにくいものはない。成人への門出を祝おうなんてのはこちら側の勝手な思い込みで、青年たちは無表情、無気力、または騒々しいだけ。「成人式の講演だけは絶対断る」という人を沢山知っている。私も異人類相手は苦手だが、考えてみれば大人たちが使う言葉もどことなく古めかしい。

 

「君たちも大人になった以上、自主独立し、気宇壮大な夢をもち、勇猛邁進の気概をもって人生に挑戦してほしい」とハッパをかけたところで、何人が感動してくれるやら。
これを砕いて説明し、「大人になったからには他からの保護や干渉を受けることなく自分の責任で行動するんですよ、これを自主独立といい、望みや心構えがあくまでも大きいことを気宇壮大といい、そして勇猛邁進とは、目標目的に向かって脇目もふらず勇気を出して真っ直ぐ前進するという意味で、この三つが一人前の大人の条件です」と解説したところで迫力がない。

 

新成人を迎えた各種の催しは、ほとんど形骸化してしまった。

 

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