河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

八方美人


                                      四 字 熟 語


                                           八 方 美 人 


本来はどこから見ても申し分のない美人を意味するのだが、転じて、誰からも良く思われたい一心で誰に対しても調子よく如才なく振る舞う、そんな人を半ばからかって形容したのが八方美人である。八方美人でなぜ悪いんだ、なんて理屈はこの際おいて、これはむしろ悪い意味で使うのが通常だということを理解しておいた方がいい。「あいつは誰彼かまわず愛嬌をふりまき機嫌をとる八方美人野郎だ」なんて言われたら、軽蔑以外のなにものでもない。

 

ある結婚披露宴のスピーチで妙齢のご婦人がつい口走ってしまった。「新郎は本当に心の優しい方で、誰からも好かれ誰にももてる八方美人の殿方でございます」。本人は褒めたたえたつもり、列席の客は苦笑い。ご婦人の勘違いは笑い話で済ますとしても、新郎の立場は微妙ではないか。わざとトゲのあるスビーチをしたのではないか、と気をまわしたくもなる。

 

私に言わせれば、国だって全方位外交、等距離外交だ。これもいわば八方美人、単純に悪いと決めつけるわけにもいかない。

 

 

弊衣破帽


                                         四 字 熟 語


                                             弊 衣 破 帽
                                 

ばんからスタイルといっても若者には想像もつくまい。年配者が郷愁を感じる程度で、今や死語同然。簡単に言えば、ボロボロの衣服と破れた帽子が弊衣破帽であり、身なりに構わない例え、その昔の旧制高校の学生が好んだスタイルだ。

 

私の父の高校時代の写真には、下駄ばきで腰に手拭いをぶら下げた貧乏学生姿が見かけられるが、昭和30年代前半には弊衣破帽は完全に消えていたような気がする。
昨今、大学の受験風景を見ていると、受験生のいかにお洒落になったことか。ママと同伴で休憩時間にくつろいでいる図はまさに隔世の感がある。

 

受験は心細いから親の付き添いもまあ認めるとして、入学式、卒業式、入社式などにもくっついてくる母親がいる。こうなると親が楽しんでいる感じだが、子供の方が母親の同伴を拒否しないのが不思議だ。少なくとも弊衣破帽華やかなりしころは、母親と連れだって歩くことすら学生たちはしなかったと伝え聞く。照れもあったが、独立心の顕れでもあった、と思いたい。

 

 

再三再四


                                     四 字 熟 語


                                        再 三 再 四

 

テレビを見ているとタレントたちが信じられないミスをやってくれる。民放の朝番組でレポーターが、サイサンサイヨンとけたたましく叫ぶ。これが再三再四とすぐわかった人が何人いただろうか。この種のアラさがしをしたらキリがない。

 

慎重居士を慎重キョシ国立名人会をクニタチ名人会殺陣師をサツジン何卒よろしくをナニソツよろしく近来の傑作は、「日本の総理大臣は例外なく黒幕のクリ人形です。」と美人キャスターの舌鋒が鋭い。なにクリ人形? これが操り人形と解るまで1分かかった。

 

めったに訂正しないところがテレビのしたたかさだが、プロを自認する連中の思いこみ、覚えちがい、読み間違いは目をおおう。局に再三再四注意してもどこ吹く風だ。
おっと再三再四は同じことを何度も繰り返すこと、しばしば、たびたびを強調した四字熟語である。注意、忠告、勧告、要求などの繰り返しや、うるさい勧誘、しつこいプロポーズなどにも再三再四は幅広く使う。

 

 

佳人薄命


                                     四 字 熟 語


                                          佳 人 薄 命 


美人のモノサシも時代とともに変わってきたが、美人が必ずしも薄命でないのも世の常だ。佳人薄命の佳人はいわゆる美人のこと。美人は生まれつき不幸で病弱で短命だから真の幸福はつかめない、というのが表の意味で、裏には、だから美人でないほうが幸福だ、この慰めと美人へのひがみ、ねたみが厳然としてある。

 

美人が薄命でなくなった現在、この四字熟語もすたれる運命にある、と言えるだろう。
それにしても、男はどちらかといえば美人好みだし、女性はおしなべて美人に白い目を向ける。お高い、澄ましてる、いじわる、扱いにくい、どれも一部はあたっていようが、不美人だって似たようなものだから、男はやはり美人に目が行く。いかに悪口と批判にさらされても美人はやっばり得である。

 

その証拠にテレビのキャスターやアナウンサーはみな美形ではないか。しかし性格の悪そうな連中が目立つ。せめて不美人派の立場でイッパツかましてやりましょう
            美人薄情、ブス不滅、と

 

 

二束三文


                                   四 字 熟 語


                                       二 束 三 文 


これを二足三文と書いたら試験では通用しないかも。二束三文が正しい。二束で僅か三文にしかならないという意味だが、語源的には江戸時代の金剛草履が二足で三文だったことに由来し、古くは二足と書いていた。その後二足を二束と書く様になって今はこれが普通。

 

二束は束(たば)が二つだから数の多いこと、三文は値段が非常に安いこと。投げ売りや超バーゲンの場合に、「えい、二束三文の叩き売りだ」という。「おやじの蔵書を全部売ったけど、二束三文だったよ」と使えば、古本をたくさん売ったのに期待以下の超安値でがっかりした、ということになる。

 

かつて大学生に□を漢字でうめる問題の解答を見た処、□束□文を一束百文と書いたり、□拝□拝を三拝六拝、また□世□代を二世三代という珍回答に笑ってしまった。 □世□代はもちろん一世一代(人間の一生のこと) が正しいが、二世帯同居とか二世帯住宅、三世帯住宅という活字を新聞雑誌で見るあまり、ついミスしたのであろう。

 

 

自己暗示


                                   四 字 熟 語


                                       自 己 暗 示 


「あいつは自己暗示にかかりやすくてね、闘う前から負けそうな不安のトリコになってるんだ」などとボクシングのトレーナーが若手選手のことを評していた。これは一種の体質で、自分で勝手にそう思い込んでしまう、いわば暗示をかけられた様な状態に落ち込んで現実にそういう結果に陥ってしまう、これが自己暗示だ。

 

催眠術の様に他人に暗示をかけられる場合はともかく、自分で自分自身を暗示のトリコにしてしまうのだから、うまくいけば大成功。勝つと思い込めば土壇場で潜在能力が発揮されるだろうし、出来ると思えば不可能をも可能にしてしまうかも知れない。その反対もあるわけで、また船酔いするんじゃないかという不安と予感で船に乗ると、案の定おかしくなることが多い。

 

つまり自己暗示は自信になったり自信喪失につながったり、人の精神面を大きく左右する麻薬のようなもの。とはいえ、しょせん実力の裏付けがなければ、どんな調子のいい自己暗示も現実の効果をもたらさないことは受験で経験済みの通りである。

 

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才気煥発


                                  四 字 熟 語


                                       才 気 煥 発 


煥発は光り輝き現れること。「才気煥発だね」と褒められたら、頭の回転が速く才能が閃いて活発で目立つ、こんなイメージだから最上級の賛辞と思ってよい。まして同年代どうしではあまり使わず、大人たちが子供や若者の閃きに驚いた場合に使うのが普通だから、この四字熟語の使い方としては、少年少女を褒める方が似つかわしいのではないだろうか。

「あのオバサンは才気煥発だ」「うちのお爺ちゃんも才気煥発だ」と褒めても間違いではないが、成年男女には他に賞賛の言葉がいくらもある。

才気煥発の美女たちに漢字を書かせたら、実にひょうきんな才気を見せてくれたので紹介しておく。「糟糠の妻」を何と、倉庫の妻と書いた。「馬耳東風」馬耳豆腐だ。「乾布摩擦」をどこでどう勘違いしたのか、寒風摩擦と書いてくれた。

そして、この才気煥発をお察しの通り才気完発と書く。どれも放送局アナウンサーの入社試験の答案から拾ったネタだ。今、人気の女子アナのお里はこの程度なんだろうねぇ。

 

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