河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

 先憂後楽


    
                                       四 字 熟 語


                                    先憂後楽 (せんゆうこうらく


宋の時代から中国で為政者の心構えとして使われる言葉に、「天下の憂いに先立って憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」、これがあまりにも有名となり、現在でも人の上に立つ者はこうでなくてはいけない、とされる。

 

世の中の人が憂うる前に自分が憂え、楽しみは世人の後でいい、自分の楽しみは後回しにしてまず困難で苦しいことを先に片付ける、これが先憂後楽であるが、日常的にはイヤなことを先にやってあとで楽しようという意味に使われることが多く、為政者の心構えではなくなってしまった。

 

「昔の政治家は偉かったね、先憂後楽だった。今の連中は何だい。自分の利益だけ考えて国民の利益を後回しにする連中ばかりじゃないか」、こんな世論が日本全国に満ち満ちているが、天下の憂いに先立って憂える政治家だって少なくない。国民やマスゴミがそういう面を評価しないで政治家の悪徳ぶりだけを誇張して槍玉にあげるのは、結局自分たちの首をしめることになるのではなかろうか。

 

 

日本保守党

 

日本保守党 設立宣言
 
混迷する我が国日本に、真の保守政党が設立されました。
 
        日本を守りたい
            日本保守党、待望の公式本
         v 政治に怒り、絶望した
             全ての人に送る希望の書
 
amazonで予約していた処、本日届きました。
これから熟読して、周りの人々に「真の保守」を伝えたい
微力ながら頑張ります。
 

融通無碍


                                      四 字 熟 語


                                     融通無碍 (ゆうづうむげ


融通がきくかきかないか、日本ではこれが人物評価をかなり左右し、融通のきく人のほうが重宝がられ、また好感を持たれる。融通のきかない代表は、お役人や教師や老人たちなどが通り相場になっているものの、お役人や教師などが融通無碍であったらかえって困る。

融通は滞りのないスイスイした状態で通ること、無碍は障害障壁のないことだから、人の行動や考え方、事の処し方が何物にもとらわれず、一定の枠にもはまらず、自由でのびのびとスムーズであること、これが融通無碍である。

「あの人は融通無碍で素晴らしい」と褒められたとしても、自由人である芸術家ならそれで問題ないが、一般の人があまりに融通無碍であるのは、一面において無責任、非常識ともとられかねないから、肯定しにくい。

「婦人警官はダメだね、融通がきかないで」という低い評価をよく聞くが、彼女らが法律通りでなく融通無碍に違反を処理したら、とんでもない無責任な行為でこれは許されない。融通無碍をいかにも望ましい美徳のように受け取るのは行きすぎだ。

 

 

前後不覚


                                    四 字 熟 語


                                     前後不覚 (ぜんごふかく


「昨夜は飲みすぎて前後不覚になっちまったよ」という告白を聞くたびに、そこまで飲まなくてもいいのに、と飲めない私は思う。 酒だけが原因ではないが、人間は前後不覚に陥ることがたまにある。

ひどい睡魔におそわれる、あまりの激痛にのたうちまわる、思いがけぬ大ショックで精神が錯乱し事態がわからなくなるなど、前後の区別や周囲の状況がまるでわからなくなって、正常な判断や普通の見方がほとんど出来なくなってしまう。つまり前後を覚えずの状態はいつ誰に訪れるかわからない。責任の有無は別にして、こういう時は運を天にまかせるしかない。

不覚をとったというフレーズがある。不覚は目が覚めないこと、悟らないこと。日常会話では、油断して失敗することを不覚というのだが、酒による前後不覚には失敗がつきものだから要注意だ。また、正体を失うというフレーズも、泥酔して正体を失ってしまった、という使い方でわかる通り、酒のイタズラである。

 

 

加持祈祷

  
                                        四 字 熟 語


                                      加持祈祷  (かじきとう)

 


万策つきてどうにもならない時、人は誰しも神仏にすがりたくなるものだが、神仏への祈りをかなり本格的にやるのが加持祈祷である。お賽銭をあげてちょっと手を合わせるだけじゃ、加持祈祷とは言えない。

 

加持は密教の行法によって念ずることだし、祈祷はただ祈るのではなく心を込めて一心不乱に神仏に祈ることだから、大きな病気や災難から身を守るため、それを避けるために祈ってこそ、霊験もあらたかになるというものだ。やや宗教的色彩の濃い四字熟語ではあるが、いまだにお年寄りの間では、「加持祈祷のおかげで調子が良くなりました。」という会話が聞かれるので、ご先祖の供養をする年末年始にとりあげてみた。

 

ついでに怪力乱神という不可思議な四字熟語も紹介しておく。
これは論語』の「子、怪力乱神を語らず」に由来するものだが、孔子がナニをもって怪力乱神としていたかが学者の間でも解釈がまちまちで、普通には、理性では説明しにくい不思議な現象や存在のこととされるが、今ひとつ明快ではない。

 

 

 国士無双

  
                                    四 字 熟 語


                                  国士無双 (こくしむそう


国士は国内で第一級の人物、無双は並ぶ者がないという意味だから、国士無双とは国内に並ぶ者のないほど優れた人物ということになる。マージャンの役の一つでもあるから、現代ではむしろそっちのほうで使われて、本来の使用法は忘れられてしまった。

 

史記』では、股くぐりで有名な韓信について「信のごとき者に至っては国士無双 と漢の宰相が評している。これをマージャン用語だと思い込んでいる人がいたら、早合点。れっきとした四字熟語であることをお忘れなく。

 

なおマージャンを麻雀と書くのは日本だけで、中国では麻将。香港や台湾へ行ってまご゛つくのは、同じ漢字で全く意味が違うケースで、汽車はクルマ、火車と書けば汽車のこと、手紙はチリ紙のこと、日本語の手紙にあたるのは信。娘は老婆、愛人は配偶者のこと、恋人のことは対象という。これらはとっくにご存知だろう。笑ったのは卵という字、これは中国では睾丸のことらしく、タマゴは蛋(たん)だ。珍宝という二文字、これは珍しい宝ではなく発音も意味もジャンボだ。

 

 

難行苦行

 
                                    四字熟語


                        難行苦行 (なんぎょうくぎょう)


私もつい難業苦業と書く事がある。 これは業でなく行でなくてはいけない。元々仏教からきた四字熟語で、法華経にこの四字がある。多くの困難に耐えながら行う辛く苦しい仏道の修行を、難行苦行という。転じて、非常な苦労、ひどく苦しい修行のこと。

 

難行苦行のすえやっと登頂に成功した」とか、「父亡きあと母は女手ひとつで我々三人の兄姉を育ててくれました。さぞかし難行苦行の連続だったと思います」などという使い方を多く見かける。

 

難のつく四字熟語ではほかに、難中之難というのもある。至難の業という言葉に近い意味で、色々と難しいことがある中で飛び抜けて難しいこと、これを難中之難という。これも仏教の経典に出てくる。七難八苦という古い表現をご存知だろうか。この世のありとあらゆる苦しみ全部という意味で、「我に七難八苦をあたえたまえ」と祈った武将が昔いたと聞くが、現代人は一難一苦でけっこうと遠慮したくなる。
それでも一難去ってまた一難、これが人生というものだ。