河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

巧言令色


                                 四 字 熟 語


                                      巧 言 令 色


「あいつは巧言令色だからな」といわれたら、信用できない、相手にしたくない、という批判否定の意味になる。巧言は実のともなわぬ口先だけの綺麗ごと、令色は顔の表情をよくする意で、相手に気に入られる様に言葉をうまく飾り表情をうまくつくろって相手の気を引く、これが巧言令色だ。

 

論語』では孔子の教えとして、「巧言令色鮮(すくな)し仁」とバッサリ斬り、「剛毅木訥(思強固で飾りけなく無口なこと)は仁に近し」という。儒教が信奉されて以来いまだに日本では、言葉や顔色で人に媚びへつらう輩を軽蔑している。
しかし、口下手で表情に乏しい日本人はたしかに巧言令色を嫌うが、ほどほどに抑えた巧言令色は外国人とつきあうには絶対必要だ。

 

巧みな言い回し、上手な表現、生き生きした表情、人間らしさの溢れた顔つき、どれも人付き合いには欠かせない。国際社会の会話術としては巧言令色をもっと評価してもいいと思う。

 

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明鏡止水


                                四 字 熟 語


                                   明 鏡 止 水


明鏡は曇りのない鏡のこと、止水は止まって澄んでいる水のこと、どちらも漢籍からきた言葉であるが、これを続けて明鏡止水という四字熟語にすれば、心にわだかまりや邪念がなく澄みきって静かな心境のことをいう。さしずめ座禅を組めば、「明鏡止水の心境」にひたれるかも………。

 

かつては文字通り一点のやましいこともない澄んで清らかな心境の持ち主のみ、この言葉を使ったものだが、最近では様変わり、都合の悪いことやよからぬことが発覚したあと問い詰められて、「わしは潔白だ。明鏡止水の心境さ。ハッハッ……」ととぼける政治家が増えたので、明鏡止水も権威がなくなってしまった。まして鏡も曇りがち水も濁りがちの現代では、こういう大げさな表現は益々使用効果が失われていくだろう。

 

余談だが、昔我が国では、「刀は武士の魂、鏡は女の魂」といわれた。鏡の手入れが悪いようならその女性の精神状態にも乱れがあるというわけで、「鏡が曇ると魂が曇る」という古い諺もあるくらいだ。

 

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医食同源


                                    四 字 熟 語

       
                                         医 食 同 源


お正月はつい食べ過ぎるので、1月7日はお粥を食べて胃を休める。理にかなったこの風潮も、近頃は七草が見当たらないため家庭では実行不能になってしまった。
七草がゆに医学的根拠がどれだけあるかは知らないが、飲み過ぎ食べ過ぎで疲れた胃に優しいことは確かであろう。

 

つまり食べるもの自体がクスリと同じ効果を持ち、食すなわち医、医すなわち食という両者が同じ源から発する、この東洋医学的発想を医食同源と表現する。この考え方に従えば、医の根源は日常の食生活の中にあり、クスリも食事も人工はむしろ有害で天然に限る、こうすれば病いも予防できるからクスリなどいらない、すなわち正しい食事こそ良い医者である、ということになるであろう。その意味では七草がゆなどは、医食同源を実践する食べ物の一つだ。

尚、近年ではこの時期、七草はスーパーで売られているそうだ。
また、度を超して大量に飲んだり食べたりする暴飲暴食という四字熟語もある。

 

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同床異夢


                                 四 字 熟 語


                                      同 床 異 夢


床はユカでなく寝床のトコ。同じ床(ベッド) に寝ていても二人の見る夢はちがう。転じて、同じ仲間同じ立場の同志でありながら、それぞれの思惑がちがい目標や考え方を異にしていることを、同床異夢という。

 

これを夫婦にあてはめれば、男女とも無我夢中でベッドも夢もいつまでも一つでありたいと願うものの、そうはいかない。初めての夜から同床異夢が始まり、めったに同床同夢なんてお目出度いことにはならない。結婚二十年ももたてば、まったくの同床異夢の関係だ。

 

いじわるくいえば、夫婦といえども死ぬまで理解しあえない別人格でであるのが当然で、「夫婦は一心同体」なんて格言も、現代では「夫婦は二心二体」といいかえなければ通用しない。そこまで露骨にいっちゃミもフタもないので、私などの結婚式のスピーチは「夫婦は一心同体、だがサイフは別」を常としている。

 

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その昔、維新の志士が漏らしたという「枕を共にしても、計りがたきは女の心なり」は奥が深い。妻も恋人も女である。女性の心は、男にとって永遠の謎だ。

大願成就


                                四 字 熟 語


                                     大 願 成 就


  年頭にあたっては、誰しもが一年の安定と幸福を神仏に祈りたい気持ちになる。


初詣の習慣は今や現代人のレジャーと化した。世界平和の実現や地球環境の救済なども大願ではあるが、受験も昇進も結婚も商売繁盛もマイホーム取得も、本人にとっては大きな祈願だ。仏教では、仏が衆生を救おうとする願いを大願というが、われわれ凡俗の世界では小さくても切実で身近な祈願こそ、大願である。それが成し遂げられ、実ることを大願成就という。

 

お賽銭の額と大願の関係だが、十円や百円では大願は成就しない。千円札や一万円札ではどうかというと、この程度で大願成就を祈るのは神仏に失礼だ。むしろ最小のお金で最大の効果をあげるには、五円で縁起をかつぐしかあるまい。大願と金額は無関係で、大事なのは心だとと勝手に思っていい。

 

満願成就というのもある。日数を決めて神仏に祈願し、その期間が終わって願いがかなうことをいう。念のため “小願成就” という言葉はない。

 

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不言実行


                                       四 字 熟 語


                                           不 言 実 行


                 日本人好みの言葉である。
あれやこれやと理屈をこねるのはダメ、理屈を言わずに為すべき事を黙ってコツコツ実行する、これが不言実行だが、これまではこういう人が評価されてきた。これからはどうだろう。不言実行も結構だが、有言実であっても一向に構わない。

 

大事なことは実行なのだから、理屈をこね言葉が先行したところで実行が伴えば誰しも納得せざるを得ない。有言のくせに実行出来なかったら、これはえらい事だ。ウソつきと批難され、実行力不足を責められるから、実行出来なかった時の反動を考えれば、不言でいるほうが得かも知れない。

 

老子』の第43章に、「不言の教え、無為の益、天下これに及ぶこと希なり」という一句がある。直訳すれば、「言葉のない教え、何にもしない行動の価値、天下にこれ以上のものはない」ということだ。なぜここで “不言之教” が出てくるかといえば、理屈だけの学問や口先だけの教えなど何の意味や価値もない、という孔子たちの儒学への否定と批判が、 “不言” の二字で表現されたと思ってよい。

 

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一生懸命


                                      四 字 熟 語


                                          一 生 懸 命


これを一所懸命が正しい、と主張する人がいる。一生と一所とどちらが正しいのだろう。現在では、一生懸命と書くのが普通だ。命がけで真剣に骨を折る、一心に物事を行う、これが意味であることは説明するまでもなく、一生懸命勉強しなさい、一生懸命やれば何とかなる、といった使い方はごく日常的である。

 

だから「一所懸命と書いたら間違いだ」と思う人も少なくないが、実は一所懸命が変化して一生懸命となったのが語源的な真相だ。
一所懸命の一所は、一つの場所一つの土地といってもよいが、元々は中世の武士階級が主君に奉公する主従関係の中で、主君から賜った領地は命を懸けて守る義務と責任があった。そこを「一所懸命の地」といったことに由来する。

 

一所がいつのまにか疑似音の一生と混合され、一生懸命の方が正しいように思われてしまったが、同意同根語である。ほかに、一処懸命とわざと自分の好みで書く人もいるが、これは四字熟語の認知を受けていない。

 

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