河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

行 水


                                          昭和のあの頃


                      過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                           それによって、心に喜びを感じさせる。
                           不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                             その14     行 水

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行水は、20世紀末頃に家庭用給湯器が普及する以前に、しばしばみられた体を清潔にするための行為であるが、同時に夏などに暑さをしのぎ涼を取るためにも行われたため、夏の季語になっている。やかんなどで湯を沸かし、水を入れたたらいに湯を足して温度調節をする。たらいは古く木製であったが、後にアルマイトやトタン(めっきした鉄薄板)などでできた「金ダライ(かなだらい)」、あるいはプラスチック製のものが用いられた。

 

風呂において桶を満たすほどの湯水を得難かった時代には、少量の湯水をたらいに湛えて下半身を浸け、手桶で肩から水を流したり、たらいの水に浸した手拭を絞り、体を拭った。場合によっては垣根で囲われた庭にたらいを置いて戸外で浴びる姿なども江戸時代から明治・大正の風俗を示した絵などに残る。

 

社会の近代化と共に生活インフラが拡充され、一般の家庭でも大量の湯水を得易くなり、頻繁に風呂を入れやすくなったことにもちなんで、行水という行為は次第に廃れていったようで、日本国内ではかつて金物屋などの店先を飾った直径1m程もある行水用の金ダライを見掛けることは、20世紀末頃までにほとんど無くなった。

 

この『行水』と言う言葉がお釈迦様の教えが書かれた阿含経(あごんきょう)』と言うお経の中に出て来るという事を知っていましたか?
このお経の中では『食事が終わった後に、手で水を汲み手や口を洗った』と言う事だったのですが、後の人が少しずつ解釈を加えて『お経を読む前に、手や口をすすぐ』『神様や仏様をお参りする前に、水で身体を清める』と言う風に変わっていった

張り板


                                       昭和のあの頃


                 過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                      それによって、心に喜びを感じさせる。
                      不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                          その13     張り板


張り板

張り板は、かつてはどこの家庭にも有る洗濯用具の一つであった。

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丸洗いした浴衣や、一旦縫い目をほどいて布地の状態にして洗った着物を、この張り板に張って乾燥させたり糊付けしたりしていた。着物を着る機会が少なくなり、次第に使用されなくなった。

 

張り板は、杉などの一枚板で作られている。板の幅が1尺5寸(約45センチメートル)程度、長さが1間(約180センチメートル)程度で、並幅1尺2寸(約36センチメートル)の着物地が張れる大きさとなっている。

 

縫い目をほどいて洗濯し、糊付けした布地は、また元のように縫い合わせて着物に仕立てていた。洗濯の度毎に着物を調えるようなもので、随分と面倒なことに思われるが、布地は繰り返し大切に使用されていた。 かつて地方では、衣服の簡単な修繕をすることを、洗濯をすると呼んでいたという。確かに、かつての着物の洗濯では、同時に繕いや寸法の修正も可能であった。

 

経木(きょうぎ)


                                         昭和のあの


                  過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                       それによって、心に喜びを感じさせる。
                       不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。

 

                      その12  経木(きょうぎ)


経木(きょうぎ)

経木(きょうぎ)とは、薄い木の板である。材質は主にスギ、ヒノキが用いられる。通常は柾目で削られている。経木はその厚さによって、「厚づき(0.5mm~1.0mm)」、「薄づき(0.1mm~0.3mm)」、「会敷(0.1mm~0.05mm)」に分類できる。包装材としては「へぎ」と読む場合がある。

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経木は、仏教と共にインドから朝鮮を経て日本へ伝来したものであり、当初は経典を写す目的で用いられた。紙が高価な時代には記録媒体として用いられた。仏教行事においては、経木を五輪の塔の形に模し、塔婆の一種である経木塔婆、水塔婆として用いる。

 

日本では大和時代から使われてきた包装材であり、昭和30年代までは包装材料として一般的に使用され、マッチ箱の材料としても利用された。ポリエチレンやスチロールが広まったために衰退したが、現代でも駅弁の折箱として、鹿児島本線折尾駅にある東筑軒の「かしわめし」、山陽本線宮島口駅にあるうえのの「あなごめし」、東海道新幹線横浜駅などで販売される横浜工場産の崎陽軒シウマイ弁当などに使用されている。近年、殺菌・抗菌効果や使用後の堆肥化、バイオマス利用など、環境に優しい製品として再評価の動きがある。

 

アイスキャンディー


                                       昭和のあの頃


                     過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                          それによって、心に喜びを感じさせる。
                          不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。

 

          その11  アイスキャンディー

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アイスキャンディー

水・果汁・牛乳などに、砂糖などの甘味料・香料・着色料、固形の原料などを加えて、型に流し込み、木製やプラスチック製の棒を差し入れて凍らせたもの。固形の原料としては、果肉、小豆やチョコレートなどが使われる。凍らせたあとで、溶かしたチョコレートやアーモンドクリームなどに漬けて、表面を覆う場合もある。
形状は直方体のものが多く円筒形の場合もある

 

アイスクリームに比べ、より安価・簡単につくれ、また屋外での飲食に便利な形状から、夏の野外での小売がさかんに行われた。氷旗を立てたクーラーボックスを自転車に載せ、カランカランと手で鐘を鳴らす「アイスキャンディー売り」は、かつてどこにでも見られた夏の風物詩だった。人出の多いビーチや公園などでは、今も見かけられる。

 

売店の軒先に電気式の保冷庫が置かれるようになると、最も身近な氷菓となる。中でもコストを抑えて安価に造られたものは、駄菓子として子供達の間に定着した。商品によっては、棒が2本刺してあり、2等分でき、2人で分けて食べたり、ひとりで2本食べたりして楽しめるものもある。これらは子供達が楽しめるよう、工夫されたものである。
現在、氷菓子の加工技術の向上によって、他にも安価で多様な形態の氷菓子が供されており、かつて程ではなくなったが、低価格帯で根強い人気商品として、今も広く販売されている。

アイスキャンディーに使用される棒には「あたり」「はずれ」の焼き印が押されたものもあり、「あたり」が出ると販売した店舗などでアイスキャンディーと交換してもらえる、なお、当たり棒を偽造して詐欺未遂で逮捕された事例も存在する。

 

徳用型マッチ


                                       昭和のあの頃


                  過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                       それによって、心に喜びを感じさせる。
                       不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。

 

                   その10  徳用型マッチ

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徳用型マッチとは台所に置いてあったあの大箱マッチのことで、昭和4年から大同燐寸(兼松日産農林マッチ部の前身)が考案し作り始め今日に至っています。荒物屋やスーパーで売っているマッチが徳用型と並型(スタンダードサイズ)マッチです。

どこが徳用か
 徳用型マッチの1個に入っているマッチの本数は約800本、並型マッチ12個の本数は約500本、これが同値(現在の定価250円)で販売されています。従って約4割お得ということです。しかし今、安価なライターと比べれば、着火コストはお得ではありません。

使われ方
 徳用型マッチは台所のかまどのそばに置いてありました。従って台所の着火に使われたわけであります。一方ポケットサイズの並型は携帯用でありますから、この中身が減ると徳用型からマッチ棒を並型マッチ箱に詰めかえて使ったものです。70年以前の並型マッチは擦薬が箱の両側に塗ってあったのでマッチ箱としての再使用に充分耐えたのであります。

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今の状況
 昔は火鉢とか練炭があり、家の中にいつも火の気がある状態が普通でしたが、今は火の元が沢山あると「こわい」と感じるようです。昭和30年代の街並みがテーマになる昨今では、当時を再現するインテリアとして徳用型マッチが存在します。
つまりマッチは、ゆったりした時間を過ごしたいというスローライフを実践しているということの記号として存在するわけですから、携帯できることが商品要素となります。
それらの理由によって、ポケットサイズの並型マッチの方が使われていると考えられます。

蚊遣り

 

                                  昭和のあの頃


                     過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                          それによって、心に喜びを感じさせる。
                          不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。

 

                 

                               その9  蚊遣り

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蚊遣器(かやりき)は、蚊取線香を安定して燃焼させ灰の飛散を防いで後処理を容易にする道具。端的には蚊取り線香用の灰皿である。夏の風物詩の一つ。

蚊を積極的に駆除する製品が蚊取り線香のみであった時代には重要な役割を果たしていたが、電気蚊取の普及以降は蚊取り線香と共に一般家庭における役割を縮小しており、実用品として利用される機会は少なくなったものの工芸品として現在も製作販売されている。

 

蚊遣豚
豚を模った陶製の「蚊遣豚(かやりぶた)」は蚊遣器の代表的な形状の一つであり、三重県四日市市の萬古焼のものなどが有名である。
蚊遣器の形状にブタが用いられるようになった理由には諸説ある。歴史的には蚊取り線香が発明される以前の江戸時代の武家屋敷より徳利を横向きにして豚の形に見立てた陶器が発掘されており、もともと野外で蚊よけのために壺に草木を入れて燻す習慣が存在し、壺が横型になって豚の形にデフォルメされるようになったともいわれる。

三丁目の夕日にも取り上げられており、そこでは養豚場で蚊よけに円筒状の土管のような器を使用していたのが、その煙を少しずつ出すように口が小さくなっていき、製品化する過程において豚の形に変化したという説が挙げられている。大正4年の新聞広告に蚊遣豚が登場していることから、明治時代に考えられたとも説明されている。

このほか野生の豚(イノシシ)を火伏の神様とする信仰があったという説やブタは毛におおわれていて蚊に刺されにくいと考えられたためという説もある。なお今日では、線香を用いない電気蚊取においても、本体を豚の形に模した製品が販売されている

 

配置薬


                                         昭和のあの頃


                          過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                              それによって、心に喜びを感じさせる。
                              不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。

 

                           その8  配置薬

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配置販売業(はいちはんばいぎょう)は、医薬品の販売業の業態のひとつである。富山の置き薬(富山の売薬)がその典型である。日本独自の医薬品販売の形態で、医薬品医療機器等法第25条第2号、第30条~第33条に規定されている。

 

起源は江戸時代の岡山地方ではじまり、富山の薬売りが盛んになり全国に広まった。販売員(配置員)が消費者の家庭や企業を訪問し、医薬品の入った箱(配置箱、預箱(あずけばこ))を配置し、次回の訪問時に使用した分の代金を精算し、集金する仕組み(「先用後利(せんようこうり)」という。)である。配置員が配置した薬は、一般に「置き薬」(おきぐすり)と呼ばれる。