河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

姉さんかぶり

 

                                     昭和のあの頃


                 過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                      それによって、心に喜びを感じさせる。
                      不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                その38   姉さんかぶり

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あねさん‐かぶり【姉さん被り】 とは、
女性の手ぬぐいのかぶり方の一つ。手ぬぐいの中央を額に当て左右の端を後頭部へ回し、その一端を上に折り返すか、その角を額のところへ挟むかする。あねさまかぶり。

 

「姉さんかぶりは、看護師さんの白衣と同じ。さあ仕事と思うと、手が自然に手拭いに伸びていましたよ。埃を避ける目的は当然として、やらなくてはいけない主婦の辛い仕事に対する“勢いづけ”みたいな意味もあったかねえ。」とは、超高齢の縁者の弁。
郷愁を語る時、その郷愁の多くを生み出してくれたのは、姉さんかぶりの女性(主に母) だったと気付く男性は多いと思う。

 

掃除はもとより、洗濯、裁縫、綿入れ仕事………と、家事全般に頑張る“主婦の勤労着”とでも言うべき「姉さんかぶり」。その姿を見るにつけ「ああ、働くお母さんっていいな」 ………みたいな気持ちが無意識の中で、誰の心にも蓄積されたと思う。
令和の現代、お母さん、お嬢さんが「姉さんかぶり」はしませんねぇ。

焚き火

 

                                      昭和のあの頃


                   過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                        それによって、心に喜びを感じさせる。
                        不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                        その37    焚き火

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焚き火(たきび)とは、広義では、火を焚くこと、火を燃やすこと、および、その火を指す。狭義では、木の枝や落ち葉、薪などを地面その他の一箇所に集めて燃やすこと、および、その火を指す。伝統的には焚火(たきび、ふんか)と読み書きし、そのほか、たき火とも記す。落ち葉を使った焚き火は落ち葉焚き(季語としては落葉焚)と言う。
基本的に直接に地面で行われるが、キャンプなどでは専用の焚火台(たきびだい、ふんかだい。焚き火台)が用いられることもある。

 

炎や火に信仰が寄せられることはよくあり、それに関連して野外での焚き火が宗教的に行われることもある。いわゆる火祭りでは大きな焚き火が作られることが多い。バラモン教に起源し、仏教や神道にも伝播している護摩も、「焚く」「焼く」を原義とする焚き火の儀式である。また、篝(かがり)を用いた篝火(かがりび)ではあるが、日本伝統の薪能も、決して遠いものではない。

 

焚き火の際に発生する煙は、これを積極的に利用する発想に繋がり、いつの頃からか目視による通信手段の一つである狼煙(のろし)が考案され、古代ローマ時代以降では軍事目的の通信にも利用されるようになった。


                ♪ 垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き ♪

ラムネ

 

                                           昭和のあの頃


                   過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                        それによって、心に喜びを感じさせる。
                        不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                          その36          ラムネ


ラムネは「玉詰びん」という特徴ある瓶に入れられた、英語圏で「レモンライム」と呼ばれる 柑橘の香りのする甘酸っぱい炭酸飲料のことである。

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「玉詰びん」という容器と、レモネードという中身が組み合わさっているところがラムネの要点であり、レモネード(サイダー)を普通のビンに入れただけでは一般に「ラムネ」とは呼ばない。 そして「ラムネ」は複数のメーカーによって作られており、特定メーカーのブランド名ではなく、一般名称、一般的カテゴリ名である。この容器と中身の組み合わせが、ある種の確固たるスタイルやスタンダードとしてしっかり定着しており、その組み合わせが昔から日本人に愛され、またこの容器と中身の組み合わせが今でもしっかり定着して生き延びているのは(ほぼ)日本独自の現象であるので、近年では日本を訪れる外国人からも珍しがられ愛されるようになっている。

 

ラムネの飲み口、ネジ式とガラスびんのふちを覆うように飲み口が打ち込んであるのとがあります。 ビー玉を取り出す方法ですが、ネジ式は飲み口を回すだけで簡単にとれます。打ち込み式の飲み口は、栓抜きを使うと上手に開けることができます。栓抜きにもいろいろ種類がありますが、お勧めは「三徳缶切り」の栓抜き部分を使うこと。まず最初に飲み口を50℃くらいのお湯で温め、プラスチックを柔らかくしておきます。柔らかくなったプラスチックに缶切りの爪をグサッと刺して、あとは普通の栓抜きと同じようにして取り外します。以上、ラムネのビー玉を安全に取り出す方法でした。

竹とんぼ

 

                          昭和のあの頃


                    過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                         それによって、心に喜びを感じさせる。
                         不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                    その35      竹とんぼ

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竹とんぼ(たけとんぼ、竹蜻蛉)とは、回転翼と翼をまわすための軸によって構成される中国と日本の伝統的な飛翔玩具である。

 

中国に古くからあり、東晋時代に葛洪が著した道教と煉丹術の文献『抱朴子』にも「飛車」というものがでてくる。15世紀にはヨーロッパに伝わったとみられ、聖母子像の中にはこのような玩具を持った絵もあり、ルネサンス期のヨーロッパの芸術やレオナルド・ダヴィンチにも影響を与えている。このことから中国学者のジョゼフ・ニーダムらは竹とんぼはヘリコプターの始祖となったとしている。

 

日本では奈良時代後半頃の長屋王邸跡から類似の木製品が出土しているほか、平安時代鎌倉時代の遺跡数ヶ所からの出土例もあるが、腐敗しやすい木製であるため例は限られている。

竹を切り出してプロペラ状の竹片とし硬い竹ひごを軸となる心棒として取り付けたもの。名が示すとおり本来は竹製玩具であるが、プラスチック製など材質を変えたものもある。心棒を両手の手のひらでこすり合せるように回転させてプロペラの揚力で空へ飛ばす。推進力は軸部分を回転させることで得る。
離陸時に与えられた回転力が慣性力として蓄えられ上昇する。慣性力による回転力が失われると下降するが、下から上に流れる空気により翼は回転し、オートローテーションの効果で滑空しながら下降する(自由落下では無い)。


      https://www.youtube.com/watch?v=1JsTNaldFuU

紙芝居

 

                                         昭和のあの頃


                       過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                            それによって、心に喜びを感じさせる。
                            不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                           その34   紙芝居

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紙芝居(かみしばい)は、物語ごとに複数枚を一組に重ねた絵で、その絵を一枚ずつ出して見せつつ演じ手が語りながら進める芝居的な芸能。主に子供たちを対象にしたもので世界に類を見ない日本の芸能である。明治以降存在した「立絵」の紙芝居と、世界恐慌時代に立絵が廃れた後で誕生した「平絵」の紙芝居とに大きく分けられるが、今日では単に「紙芝居」と言う場合平絵の紙芝居を指す。

 

昭和の戦中期では、子供へ絶大な影響力、洗脳力があることから、『軍神の母』(日本教育芝居協会)など「国策紙芝居」も作られ、戦意高揚に役立てられたことは事実である。紙芝居屋は子供たちからは紙芝居のおじさんと呼ばれていた。紙芝居のおじさんは自転車に紙芝居と水飴などの駄菓子を積んで街頭を回って、拍子木を打ったり法螺貝を吹いたりして子供を集めて駄菓子を売り、人数が集まれば紙芝居を始めた。紙芝居のおじさんはたいてい話が佳境に入ったところで「続きはまた来週」と話を止め、次回に期待させた。

 

紙芝居屋が町を回って子どもを集め、駄菓子を売って紙芝居を見せる、という営業形態が成り立つのは、小銭を持って子どもが簡単に集まってくる場所に限られた。姜竣という学者は、農村には紙芝居はなかったとしている。

 

近年ではラオスベトナムなどに紹介され、作られ楽しまれるようになってきている。また、国際協力NGOのジョイセフなどを通じてタンザニアの村にてエイズ教育活動に紙芝居が用いられている。

置炬燵

 

                                    昭和のあの頃


               過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                   それによって、心に喜びを感じさせる。
                   不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                     その33        置炬燵


 自由に移動できるこたつ。底板のあるやぐらの中に、炭火をいける陶器を置いたもの。

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炬燵(火燵、こたつ)は、日本の暖房器具(一部の外国にも類似の器具が存在する)。
床や畳床等に置いた枠組み(炬燵櫓、炬燵机)の中に熱源を入れ、外側を布団等で覆って局所的空間を暖かくする形式である。熱源は枠組みと一体になっているものと、そうでないものがあり、古くは点火した木炭や豆炭、練炭を容器に入れて用いていた。現在は電気装置(電気こたつ)が多い。

 

脚を曲げて腰を掛けることができるよう床を切り下げている掘り炬燵(切り炬燵ともいう)と、床が周囲と同じ高さの平面の置き炬燵とに分けられる(ただし、台を設ける床置きの掘り炬燵もある。暖気が逃げないようこたつ布団を広げてかぶせ、炬燵櫓の上には、こたつ板(天板)を置いて、机やちゃぶ台のように使うことが多い。以前は天板の裏がラシャ張りになっており麻雀卓として利用されたが、麻雀人口と正方形の炬燵がともに減少したため、このような天板は稀になった。

 

「住みつかぬ旅の心や置炬燵/芭蕉
        去ね去ねと人に言はれても、なほ喰ひ荒らす旅の宿り、どこやら寒き
   居心を侘びて

街頭テレビ

                                        昭和のあの頃


                    過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                         それによって、心に喜びを感じさせる。
                         不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                     その32    街頭テレビ

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街頭テレビ(がいとうテレビ)は、不特定多数の人が集まる場所に設置され、無料で視聴できるテレビ受像機である。テレビジョン放送およびテレビ(製品)の普及初期には随所に置かれ、大変な人気を博した。

 

日本テレビは開局当時からコマーシャルを収入源としており、スポンサーを獲得するには、視聴者を一定数確保する必要に迫られていた。そのため、当時の日本テレビ社長・正力松太郎は、普及促進とスポンサー獲得のため、キャラバン隊による移動宣伝の他、繁華街、主要鉄道駅、百貨店、公園など人の集まる場所に受像機を常設し、テレビの魅力を直接訴える作戦に打って出た。

 

街頭テレビそのものは試験放送時代から幾つも存在していたが、大々的な展開は日本テレビが最初であり、小さい画面にもかかわらず、特に人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には観衆が殺到した(プロレス中継の際には実況担当が「街頭の皆さん、押さないで下さい」と呼びかけを行なった事もある)。都内各地に街頭テレビを据えた正力は、「台数は少なくても視聴者は多い」とアピールしてスポンサーを説得し、結果、開局7ヶ月で黒字化を達成した。

 

その後、街頭テレビの大成功に触発される形で、民放テレビ局が次々と開局し、街頭テレビをさらに普及させた。また放送局のみならず、受像機製造メーカーや販売店の側も宣伝目的で競って街頭テレビを設置し、自社製品の優位性を訴えた。