河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

街頭テレビ

                                        昭和のあの頃


                    過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                         それによって、心に喜びを感じさせる。
                         不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                     その32    街頭テレビ

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街頭テレビ(がいとうテレビ)は、不特定多数の人が集まる場所に設置され、無料で視聴できるテレビ受像機である。テレビジョン放送およびテレビ(製品)の普及初期には随所に置かれ、大変な人気を博した。

 

日本テレビは開局当時からコマーシャルを収入源としており、スポンサーを獲得するには、視聴者を一定数確保する必要に迫られていた。そのため、当時の日本テレビ社長・正力松太郎は、普及促進とスポンサー獲得のため、キャラバン隊による移動宣伝の他、繁華街、主要鉄道駅、百貨店、公園など人の集まる場所に受像機を常設し、テレビの魅力を直接訴える作戦に打って出た。

 

街頭テレビそのものは試験放送時代から幾つも存在していたが、大々的な展開は日本テレビが最初であり、小さい画面にもかかわらず、特に人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には観衆が殺到した(プロレス中継の際には実況担当が「街頭の皆さん、押さないで下さい」と呼びかけを行なった事もある)。都内各地に街頭テレビを据えた正力は、「台数は少なくても視聴者は多い」とアピールしてスポンサーを説得し、結果、開局7ヶ月で黒字化を達成した。

 

その後、街頭テレビの大成功に触発される形で、民放テレビ局が次々と開局し、街頭テレビをさらに普及させた。また放送局のみならず、受像機製造メーカーや販売店の側も宣伝目的で競って街頭テレビを設置し、自社製品の優位性を訴えた。