河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

素麺(そうめん)


                                                  夏の風物詩-2

 

                                              「素麺(そうめん)」

 

 

f:id:bkawahara:20200818083431j:plain

 

素麺(索麺、そうめん)は、小麦粉を原料とした日本および東アジアの麺のひとつ。主に乾麺として流通するため、市場で通年入手できるが、冷やして食することが多く、清涼感を求めて夏の麺料理として食するのが一般的である。

 

 

f:id:bkawahara:20200818083509j:plain

 

日本農林規格JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』では、機械麺の場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされている。これより太い直径1.3mm以上1.7mm未満はひやむぎ(冷麦)、1.7mm以上はうどん(饂飩)と分類される。手延麺の場合は、素麺もひやむぎも同基準であり、めん線を引き延ばす行為のすべてを手作業により行っているなどの条件を満たしたものが、太さに合わせて、それぞれ「手延べ素麺」、「手延べひやむぎ」、「手延べうどん」とされる。

 

 

f:id:bkawahara:20200818083541j:plain

 

 

祇園社南北朝時代の記録である『祇園執行日記』の康永2年7月7日(1343年7月28日)の条に、麺類を指す言葉として索餅(さくべい)、索麺・素麺(そうめん)と3つの表記があり、これが「そうめん」という言葉の文献上の初出とされている。平安時代には七夕に索餅を食べると病(マラリア性の熱病)にかからないという中国の故事に倣って、宮廷での七夕行事に索餅が取り入れられていた。

 

敗戦の日に想う


                             敗戦の日に想う。

 

本日を我が国のマスゴミは、「終戦の日」とか「終戦記念日」と詐称するのを常としますが、歴史的事実は紛れもなく「敗戦」です。

 

  

f:id:bkawahara:20200815100425j:plain

 

しかしいつまでも、終戦記念日と呼び続けるのは、敗戦でなく終戦と呼ぶ事で、自分達の利益を守っている輩がいるからです。最初に敗戦でなく終戦と呼んだ人達は、陸軍や政府の戦争へ至るやや暴走気味な日本国の運営に、歯止めをかけられずにどちらかと言うと応援した連中なのです。朝日新聞をはじめとするマスゴミや、学校の教師などの教育者たち、議員や町会長などの地域ボスたち等々、戦争を賛美したくせに、その戦争に負けるやいなや戦争責任を負いたくないと考えた卑怯な男達です。

 

f:id:bkawahara:20200815100509j:plain

 

彼らにとって、敗戦でなく終戦と言いう言葉は、自分達の悪行を逃れる素晴らしい方便でした。敗戦でなく終戦と呼ぶ事で、あたかも自分達が嫌々戦争に駆り立てられた被害者のような顔をしていられたのです。また、相変わらず支那南朝鮮は、閣僚の靖國参拝について内政干渉を続けていますし、それ以上に憂うべきなのは、それに踊らされている国内反日マスゴミの騒ぎっぷりです。

 

 

f:id:bkawahara:20200815100542j:plain

 

靖国神社とは、「国家のために斃れた先人を如何に慰めるか」という神聖な場所であることを一顧だにしない我が国のマスゴミは、日本人ではないのかと問い質したいものです。善良な一市民であった先人達は、日本国を・日本社会を・愛する家族を守る為に、銃を取り闘い、戦場に斃れたのです。現代を生きる我々は、その偉大なる先人に感謝しお慰めすると共に、二度と莫迦侵略戦争(?)をしないと約束するべきと考えます。

 

f:id:bkawahara:20200815100628j:plain

 

「敗戦」を「終戦」と言い換え、他人事の様に済ませ、支那南朝鮮の妄言に乗せられ「靖国神社参拝反対」などと叫ぶマスコミ・日教組の悪行を、未来を担う子供達にちゃんと説明するのが、我々大人の責任だと改めて痛感しています。遙か徳島からではありますすが、和服の第一礼装である「紋付袴」に威儀を正し、靖国神社に向かい「二礼、二拍手、一礼」で参拝し、偉大なる先人に感謝しお慰め致します。

 

お盆


        お盆は先祖の霊の里帰り。
                         夕暮れに蜩の鳴く頃

 


8月12日から七十二候では「寒蝉鳴ひぐらしなく/かんせんなく)」になります。
「寒蝉」とは秋を告げる蝉のことで、蜩(ひぐらしが鳴き始めるという意味。蜩が「カナカナ・・・」と鳴くのは、日の出前や日の入り後など薄暗い時間帯。夕暮れに鳴くので「日暮し」と呼ばれるようになったそうです。

 

f:id:bkawahara:20200814073708j:plain

 

そして8月15日は月遅れのお盆。8月13日がお盆の入りとなります。お盆の慣わしは多様ですが、一般的には、盆棚を設え、お墓参りに行って、先祖の霊を招くために迎え火を焚きます。夕暮れの頃、玄関前や門前でオガラを燃やすのが迎え火。オガラとは麻の茎の皮をむいたもので、オガラの煙に乗って先祖がやってくるといわれています。まずは火を拝み、外から内へまたぐようにして家に入る風習もあります。

 

f:id:bkawahara:20200814073737j:plain

 

ちなみにオガラの灰をタンスに入れておくと、衣服に困らなくなるという言い伝えもあります。迎え火を焚く頃、どこからともなく聞こえる蜩の声は、ちょっと切なく聞こえます。

 

今月の万葉集


                               2020年
                          万 葉 集
                      季 節 の 和 歌

 

  

f:id:bkawahara:20200812100836j:plain

 

                   8月 葉月(はづき)

 

                           夏野行く
                          子鹿の角の
                          束の間も
                          妹が心を
                          忘れて思へや

                                                                  柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

 

 

                現代語訳

                        夏の野を行く
                        雄鹿の短い角の様に ちょっとの間も
                        そなたの心が 忘れられようか

 

「立秋」


二十四節気立秋  優雅な扇子使いで涼やかに

 

 

f:id:bkawahara:20200808084857j:plain

 


8月7日は「立秋」。二十四節気のひとつで、この日から立冬の前日までが暦の上では秋となります。暦の上では暑さのピークが過ぎるので、立秋以降の暑さを「残暑」といい、「暑中見舞い」も「残暑見舞い」に変わります。とはいうものの、とにかく毎日暑い日が続くので全くピンときませんね。「暦の上では秋ですが・・・」というおなじみのフレーズも恨めしく感じます。

 

 

f:id:bkawahara:20200808084931j:plain

f:id:bkawahara:20200808084944j:plain

七十二候では7日から「涼風至(すずかぜいたる)」に入ります。涼しい風が吹き始める頃という意味です。本来であれば、朝晩吹く風に少しずつ涼しさが混じるのを感じ、空を見上げれば、うろこ雲や鰯雲が、秋の訪れを知らせてくれる頃。そんな秋の兆しを少しでも早く見つけたいものです。

 

 

f:id:bkawahara:20200808085025j:plain

 

エアコンも扇風機もない時代、人々は高温多湿で蒸し暑い日本の夏を乗り切るために、自然の風や水を使って上手に涼を呼び込んでいました。異常気象の中ではそれこそ「焼け石に水」かもしれませんが、工夫のひとつかもしれません。
その中のひとつが扇子。扇子にはいろいろな種類がありますが、一般的な涼をとるための扇子を「夏扇子」とか「持扇」などと呼びます。一年中使えますが、やはり夏が一番の出番。涼やかな夏の風物詩として優雅に涼をとってみませんか。

f:id:bkawahara:20200808085118j:plain

 

原爆の日


原爆の日に想う


「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文は、被害者である日本が「過ち」を犯したかのような文言となっており、改めるべきではないか。

 

f:id:bkawahara:20200806095626j:plain

 

広島市の(回答)
原子爆弾は、街を一瞬のうちに壊滅させ、罪もない子どもから老人まで多くの尊い命を奪いました。かろうじて生き残った人も、心と体に大きな痛手を受け、多くの被爆者が今なお苦しんでいます。わずか一発の原子爆弾が引き起こした、この悲惨な出来事を体験した広島市並びに広島市民は「核兵器は人類滅亡を引き起こす"絶対悪"である」という人類にとって最も重要な真実を直観し、「二度とヒロシマを繰り返してはならない」と決意しました。そして、原爆犠牲者の冥福を祈るとともに、戦争や核兵器の使用という過ちを繰り返さず人類の明るい未来を切り拓いていくことを誓う言葉として、広島平和都市記念碑原爆死没者慰霊碑)に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻みました。

 

 

f:id:bkawahara:20200806095702j:plain

f:id:bkawahara:20200806095714j:plain

 

碑文の趣旨は、原爆の犠牲者は、単に一国・一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。つまり、碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています。碑が完成した昭和27年(1952年)から今日まで、碑文は被爆者や広島市民だけではなく核兵器廃絶と世界平和実現を求める全世界の人々にとって祈りと誓いの原点であり続けています。今日では、碑文に対する疑問の声はほとんど聞かれず、本市としては碑文の修正は全く考えておりません。

 

 

f:id:bkawahara:20200806095751j:plain

 

まさに「反日マスゴミ」の自虐史観に毒された言い訳にしか過ぎず、優等生的な作文です。「核」を保有している世界中の国々に対する強烈なメッセージに書き換えるべきだと想います。唯一の被爆国として日本政府は、核武装して国民の生命と財産を守ります。二度とあの惨禍を繰り返し受ける事はありませんから。と、亡くなられた方々にお誓いするべきではないでしょうか? そして、それを宣言する碑文にすることを熱望しています。

最後になりましたが、遙か広島の空に向かい「般若心経」を読誦し、犠牲になられた方々のご冥福を四国・徳島からお祈りいたします。

かき氷


夏の風物詩-1

                                    「かき氷」

 

 

f:id:bkawahara:20200805091501j:plain


かき氷(かきごおり)とは、氷を細かく削るか、砕いてシロップ等をかけた氷菓。餡やコンデンスミルクをかけたものもある。氷は古くは「かんな」などで粒状に削ったが、現在は専用の機械を用いる。また市販品として、カップに細かく砕いた氷と各種シロップを混ぜたものも売られている

 

 

f:id:bkawahara:20200805091538j:plain

 

史実上の記録は平安時代清少納言の『枕草子』「あてなるもの」(上品なもの、良いもの)の段に、金属製の器に氷を刃物で削った削り氷(けずりひ)に蔓草の一種である甘葛(あまかづら・あまづら、蔦の樹液または甘茶蔓の茎の汁)をかけたとして「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」と記述されている。当時のかき氷は小刀で削るもので特権階級しか口にできないものであった。

 

 

f:id:bkawahara:20200805091609j:plain

 

 

第二次世界大戦前は、削った氷に砂糖をふりかけた「雪」か、砂糖蜜をかけた「みぞれ」、小豆餡をのせた「金時」が普通のメニューであった。
戦後、専用のいちごやレモン風味のシロップが販売されるようになって、「雪」は姿を消した。