河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

唯々諾々


                                   四 字 熟 語


                                        唯 々 諾 々  


男なら、返上したい不名誉な評価である。「あの人はいつも唯々諾々として頼りがいがないね」という使い方に見られる通り、主体性のまるでないイエスマンを馬鹿にした四字熟語だ。事の是非、物の見方などまるで関係なく上からの命令や意見にはただひたすら、ハイハイと従順に無抵抗に従う人のことをからかってこう言う。

 

素直で使いやすいから一面では重宝がられるが、それも上べだけで、イザって時にはシンがない、言いなりで自分がない、などと悪口を言われてしまう。男がこんな評価に唯々諾々と甘んじていいのだろうか。

 

かといって、志操堅固も度か過ぎると嫌われる。意思が強くて主義主張を容易に変えない、こういう人を志操堅固というのだが、人生には妥協がつきものだから志操堅固一点張りじゃ相手も困る。我を通す、主体性を貫く、志と操を守り抜く、如何にも格好がいいが、相手の自我や主体性や志操にも気配りして貰いたいところだ。志操堅固よりは唯々諾々タイプを好む上役のほうが多いのも現実である。

 

 

多士済々


                                  四 字 熟 語


                                        多 士 済 々  


士はサムライ、人物人材のこと。「我が社は多士済々だから強い」と上役が自慢したら、その中に自分も入ってると自惚れてよい。有能な人物や人材が豊富に沢山居ることをいう。たまに、タシサイサイと使う人が居るが、間違いてはない。中国の古典からきた四字熟語であるが、会話でも文章でも広く使われる。

 

「我が社の新人たち、人数だけは多いが、どうも多士済々というわけにはいかん、どれも平々凡々、無色透明、意志薄弱で困っているんだ」と大企業の管理職の友人がこぼす場面にぶつかった。アラ探しをすれば、新入社員なんて初めはみんなこんなものだから、こぼす上役こそ自分の新人時代を振り返ってみろと、言ってやった。

 

「ウチの部長の情けない姿を見ちゃったよ」と部下だって見るべきところは見ていることを上役連中は知っているかな。「部長のやつ、年中社長にペコペコ胡麻すってさ、この間なんか社長の電話に平身低頭だぜ。受話器に10回もお辞儀してやがんの」ここまで言われたら部長も形無しだ。新人批判もほどほどに。

 

 

杓子定規


                                    四 字 熟 語


                                           杓 子 定 規 


杓子と定規のことではなく、曲がった杓子の柄をきっちりした定規の代用にしても、基準が正しくない以上それで物事をはかっても無意味だというのが本来の使い方で、転じて同じ基準や形式、考えで全ての物事を決めようとする融通のなさ、形式主義、応用のきかないこと、これを杓子定規という。

 

校則とかお役所仕事にこの傾向があるし、世代間にも、大人たちの杓子定規のやりかたを我々に押しつけるとは何事だ、という対立が根深い。新旧、老若、上下などの関係には永遠にこの問題がつきまとう、どっちが杓子でどっちが定規かはこの際問うまい。

 

最近若い人の会話で、「あいつは杓子定規で面白味のない人間だ」という使い方も聞く。融通のきかない堅物をけなした表現だが、杓子定規の代わりに四角四面という言葉もある。真面目すぎて堅苦しくて柔軟性のない人間のことだ。「ウチの課長はいつも四角四面だから、つきあいにくい」などと若い部下たちに言われぬ様、上役諸氏は頭もハートももっと柔らかくしたほうがいいかも?

 

 

玉石混淆


                                  四 字 熟 語


                                      玉 石 混 淆 


混淆は書きにくいので最近は混交と書いても間違いではない。良いもの、優れたもの、すなわち玉と、悪いもの、つまらないもの、すなわち石とが入り混じった状態を玉石混淆といい、玉石を人間にあてはめ、賢者と愚者、いい人材と駄目な連中とがごちゃまぜになっている様子を文章でも会話でもしばしばこの様に表現する。

 

玉石が混淆しずきると、善し悪しの区別がつかないので、「今年の新人たちは玉石混淆でなく玉石混乱で抜擢しにくいなあ」などというセリフが上役の口から出る。自分が玉だと自負する人はその輝きを増加させ、石かもしれない不安があるなら石を磨いて玉に化ける努力をするしかあるまい。

 

昔の親は子の立身出世を望んだ。成功して社会的に高い地位につき、世間的な名声を博し収入も多く、この願い、親が望むほど子はこだわっていない。落ちこぼれはイヤだし金も欲しいが、立身出世はそこそこでいい人よりワンランク上が気分がいい、この程度である。石は駄目だか、玉まで達しない中位がいい、ということか。

 

 

大言壮語


                                     四 字 熟 語


                                         大 言 壮 語 


世の中には、実力以上のでっかいことを今にも実現しそうな口ぶりで喋りまくる人が照る。これが大言壮語だ。これじゃ好かれるわけがないのに、本人だけ意気盛んでその癖を直さないから、益々軽く見られてしまう。大ブロシキを拡げるな、大ボラ吹くな、大口たたくな、ハッタリかますな、大見得きるな、などなど似たり寄ったりの軽蔑のフレーズが浴びせられるのがオチだ。

 

英語では、大言壮語する人を、ビッグ・マウスというらしい。日常会話でも余りいい意味で使わないのはもちろんで、「彼は大言壮語の癖があるから、眉唾で聞いておけ」。
しょせん信用されない哀れな連中といえるだろう。

 

類似の四字熟語に荒唐無稽がある。これは言動の中身に根拠がなく、曖昧でとりとめがなく、出鱈目でウソっぽい、そういう場合に使う。「そんな荒唐無稽な計画は採用できない」「荒唐無稽な絵空事は止めたまえ」というぐあい。「あいつは大言壮語でいつも荒唐無稽だから話しにならん」と言われたら信用されてない証拠だ。

 

 

安倍元総理

世界激変の中で日本国の進路を真の独立国へと導こうとしてきた安倍元総理。

日本人と日本国への限りない信頼を基盤にして、日本を真の自立国にしようとひたすら駆け続けたのが安倍元総理です。

安倍元総理が自身の政治的使命と語っていた憲法改正、こうなってはそれをどうしても実現しなければならないと、私は今心に誓っています。

日本だけではなく世界の民主主義国がこれからも、もっと長くその活躍を切望していた安倍元総理。

かけがえのない人材を失った。

その喪失感に圧倒されています。

 

 

一期一会


                                        四 字 熟 語


                                             一 期 一 会 


あまりにも有名な四字熟語だけに、間違って覚えた向きがそうと知らずに得々として使う、そんな現場に何度もぶつかった。結婚披露宴のスピーチ、お祝いの挨拶などで、「私はイッキイチエを大切にします」、「イッキイッカイの出会いが二人を結びつけました」など。冗談でなく、あなたの周囲にもあるのでは?

 

一期一会とは、人との出会いを大事にするたとえで、一生に一度限り、一生で会う機会はただ一度だけ、だからこそその縁を大切にしなければならない、そんな意味と思えばいい。もともと茶道の心得からきた言葉で、「茶湯者覚悟十体」 (千利休の弟子、山上宗二の著)の中の言葉である。

 

一期一会が優雅で芸術的であるのにくらべ、がたっと落ちる日本人好みのもう一つのフレーズが、「一宿一飯の恩義があるんだ」。一晩泊めて貰い一度食事をもてなされた、たったこれだけの恩を忘れずに義理を返す、これが一宿一飯である。博徒の渡世訓だけに若い人には馴染めないだろう。