河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

氷冷蔵庫

 

                                     昭和のあの頃


                 過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                     それによって、心に喜びを感じさせる。
                     不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                   その40    氷冷蔵庫

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氷冷蔵庫が、始めて作られたのは明治41年(1908)のことだそうです。

私の家では、昭和30年(1955)ごろに買った冷蔵庫は、上の小さな扉のなかに氷を入れて使った氷冷蔵庫でした。氷屋さんは、自転車の後ろにつけたリヤカーに氷をつんできて、家の前に着くと、大きなのこぎりでシャキシャキと切り、台所まで鉄の引き上げばさみで運んでくれました。今の電気冷蔵庫のように沢山のものを何日も保存することはできなかったそうです。

 

氷冷蔵庫は、上下に扉がある木製。上の扉に氷を入れ、下の扉に食品類を入れる。こうすることで湿った冷気が下に流れ、食品の冷蔵を保つという仕組み。効果は氷が溶けるまで。保存効果の短さを、それほど問題にしなかった時代であった。

 

その氷冷蔵庫、寿命は長くなかった。神武景気が白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫三種の神器時代」をもたらし、その影に隠れるように静かに消えたのである。

赤電話

 

                                    昭和のあの頃


                過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                     それによって、心に喜びを感じさせる。
                     不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                     その39     赤電話

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委託公衆電話(いたくこうしゅうでんわ)は、電気通信事業者が駅・公共施設・テーマパーク・ショッピングセンター・商店などの構内に設置し、施設の運営者に管理を委託している日本の公衆電話である。電話機本体の色が赤い事から赤電話と呼ばれたこともあった。

 

施設の設置者が申請すると、NTTが設置の判断を行い、委託先と契約を行う。設置後は、料金回収・日常清掃・故障時の応急対応などを、施設の管理者が行う。
委託手数料は、毎月回収する通話料から相殺される。また、公衆電話通話料金の請求書は、他の電気通信サービスの請求書と一括して送付される。

 

自宅に黒電話が普及して、お互いの自宅同士では簡単に電話がかけられるようになりましたが、例えば、外出先のお店や公共施設から自宅宛に電話をかけたいことが、まれに良くあります。傘を持ち忘れて外出して雨が降った時に、到着した駅の軒下から「傘持ってきて!」と家族に連絡したい場合などです。昔のドラマでは良く見かける光景ですね。傘を持たずに外出すると、出先で傘を入手するのが困難な時代だったのです。

 

そんな中、出かけ先でも電話がかけられるよう、とある電話機が登場して人気を博しました。その電話機こそが……赤電話です!電話をかけるために必要な金額は10円から。例えば市外に遠距離通話をする場合、通話料が数秒/10円だった時代もありましたので、大量に10円玉を用意する必要がありました。

今ではIP電話であれば市外宛も市内も3分数円、海外でも1分数円といった時代なのですから、本当に電話代が安くなりました。有り難いことです。

姉さんかぶり

 

                                     昭和のあの頃


                 過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                      それによって、心に喜びを感じさせる。
                      不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                その38   姉さんかぶり

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あねさん‐かぶり【姉さん被り】 とは、
女性の手ぬぐいのかぶり方の一つ。手ぬぐいの中央を額に当て左右の端を後頭部へ回し、その一端を上に折り返すか、その角を額のところへ挟むかする。あねさまかぶり。

 

「姉さんかぶりは、看護師さんの白衣と同じ。さあ仕事と思うと、手が自然に手拭いに伸びていましたよ。埃を避ける目的は当然として、やらなくてはいけない主婦の辛い仕事に対する“勢いづけ”みたいな意味もあったかねえ。」とは、超高齢の縁者の弁。
郷愁を語る時、その郷愁の多くを生み出してくれたのは、姉さんかぶりの女性(主に母) だったと気付く男性は多いと思う。

 

掃除はもとより、洗濯、裁縫、綿入れ仕事………と、家事全般に頑張る“主婦の勤労着”とでも言うべき「姉さんかぶり」。その姿を見るにつけ「ああ、働くお母さんっていいな」 ………みたいな気持ちが無意識の中で、誰の心にも蓄積されたと思う。
令和の現代、お母さん、お嬢さんが「姉さんかぶり」はしませんねぇ。

焚き火

 

                                      昭和のあの頃


                   過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                        それによって、心に喜びを感じさせる。
                        不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                        その37    焚き火

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焚き火(たきび)とは、広義では、火を焚くこと、火を燃やすこと、および、その火を指す。狭義では、木の枝や落ち葉、薪などを地面その他の一箇所に集めて燃やすこと、および、その火を指す。伝統的には焚火(たきび、ふんか)と読み書きし、そのほか、たき火とも記す。落ち葉を使った焚き火は落ち葉焚き(季語としては落葉焚)と言う。
基本的に直接に地面で行われるが、キャンプなどでは専用の焚火台(たきびだい、ふんかだい。焚き火台)が用いられることもある。

 

炎や火に信仰が寄せられることはよくあり、それに関連して野外での焚き火が宗教的に行われることもある。いわゆる火祭りでは大きな焚き火が作られることが多い。バラモン教に起源し、仏教や神道にも伝播している護摩も、「焚く」「焼く」を原義とする焚き火の儀式である。また、篝(かがり)を用いた篝火(かがりび)ではあるが、日本伝統の薪能も、決して遠いものではない。

 

焚き火の際に発生する煙は、これを積極的に利用する発想に繋がり、いつの頃からか目視による通信手段の一つである狼煙(のろし)が考案され、古代ローマ時代以降では軍事目的の通信にも利用されるようになった。


                ♪ 垣根の垣根の曲がり角、焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き ♪

ラムネ

 

                                           昭和のあの頃


                   過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                        それによって、心に喜びを感じさせる。
                        不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                          その36          ラムネ


ラムネは「玉詰びん」という特徴ある瓶に入れられた、英語圏で「レモンライム」と呼ばれる 柑橘の香りのする甘酸っぱい炭酸飲料のことである。

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「玉詰びん」という容器と、レモネードという中身が組み合わさっているところがラムネの要点であり、レモネード(サイダー)を普通のビンに入れただけでは一般に「ラムネ」とは呼ばない。 そして「ラムネ」は複数のメーカーによって作られており、特定メーカーのブランド名ではなく、一般名称、一般的カテゴリ名である。この容器と中身の組み合わせが、ある種の確固たるスタイルやスタンダードとしてしっかり定着しており、その組み合わせが昔から日本人に愛され、またこの容器と中身の組み合わせが今でもしっかり定着して生き延びているのは(ほぼ)日本独自の現象であるので、近年では日本を訪れる外国人からも珍しがられ愛されるようになっている。

 

ラムネの飲み口、ネジ式とガラスびんのふちを覆うように飲み口が打ち込んであるのとがあります。 ビー玉を取り出す方法ですが、ネジ式は飲み口を回すだけで簡単にとれます。打ち込み式の飲み口は、栓抜きを使うと上手に開けることができます。栓抜きにもいろいろ種類がありますが、お勧めは「三徳缶切り」の栓抜き部分を使うこと。まず最初に飲み口を50℃くらいのお湯で温め、プラスチックを柔らかくしておきます。柔らかくなったプラスチックに缶切りの爪をグサッと刺して、あとは普通の栓抜きと同じようにして取り外します。以上、ラムネのビー玉を安全に取り出す方法でした。

竹とんぼ

 

                          昭和のあの頃


                    過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                         それによって、心に喜びを感じさせる。
                         不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                    その35      竹とんぼ

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竹とんぼ(たけとんぼ、竹蜻蛉)とは、回転翼と翼をまわすための軸によって構成される中国と日本の伝統的な飛翔玩具である。

 

中国に古くからあり、東晋時代に葛洪が著した道教と煉丹術の文献『抱朴子』にも「飛車」というものがでてくる。15世紀にはヨーロッパに伝わったとみられ、聖母子像の中にはこのような玩具を持った絵もあり、ルネサンス期のヨーロッパの芸術やレオナルド・ダヴィンチにも影響を与えている。このことから中国学者のジョゼフ・ニーダムらは竹とんぼはヘリコプターの始祖となったとしている。

 

日本では奈良時代後半頃の長屋王邸跡から類似の木製品が出土しているほか、平安時代鎌倉時代の遺跡数ヶ所からの出土例もあるが、腐敗しやすい木製であるため例は限られている。

竹を切り出してプロペラ状の竹片とし硬い竹ひごを軸となる心棒として取り付けたもの。名が示すとおり本来は竹製玩具であるが、プラスチック製など材質を変えたものもある。心棒を両手の手のひらでこすり合せるように回転させてプロペラの揚力で空へ飛ばす。推進力は軸部分を回転させることで得る。
離陸時に与えられた回転力が慣性力として蓄えられ上昇する。慣性力による回転力が失われると下降するが、下から上に流れる空気により翼は回転し、オートローテーションの効果で滑空しながら下降する(自由落下では無い)。


      https://www.youtube.com/watch?v=1JsTNaldFuU

紙芝居

 

                                         昭和のあの頃


                       過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                            それによって、心に喜びを感じさせる。
                            不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                           その34   紙芝居

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紙芝居(かみしばい)は、物語ごとに複数枚を一組に重ねた絵で、その絵を一枚ずつ出して見せつつ演じ手が語りながら進める芝居的な芸能。主に子供たちを対象にしたもので世界に類を見ない日本の芸能である。明治以降存在した「立絵」の紙芝居と、世界恐慌時代に立絵が廃れた後で誕生した「平絵」の紙芝居とに大きく分けられるが、今日では単に「紙芝居」と言う場合平絵の紙芝居を指す。

 

昭和の戦中期では、子供へ絶大な影響力、洗脳力があることから、『軍神の母』(日本教育芝居協会)など「国策紙芝居」も作られ、戦意高揚に役立てられたことは事実である。紙芝居屋は子供たちからは紙芝居のおじさんと呼ばれていた。紙芝居のおじさんは自転車に紙芝居と水飴などの駄菓子を積んで街頭を回って、拍子木を打ったり法螺貝を吹いたりして子供を集めて駄菓子を売り、人数が集まれば紙芝居を始めた。紙芝居のおじさんはたいてい話が佳境に入ったところで「続きはまた来週」と話を止め、次回に期待させた。

 

紙芝居屋が町を回って子どもを集め、駄菓子を売って紙芝居を見せる、という営業形態が成り立つのは、小銭を持って子どもが簡単に集まってくる場所に限られた。姜竣という学者は、農村には紙芝居はなかったとしている。

 

近年ではラオスベトナムなどに紹介され、作られ楽しまれるようになってきている。また、国際協力NGOのジョイセフなどを通じてタンザニアの村にてエイズ教育活動に紙芝居が用いられている。