御所神社
徳島県阿波市土成町の宮川内には土御門上皇にまつわる伝承が多く残されています。
そして宮川内には御所という地名があり、その場所には御所神社が鎮座しています。
「土御門上皇」の御所があったから地名も「御所」って訳ですね。
今から約800年前に承久の乱の後、土御門上皇は後に阿波国に遷り、嘉禄3年(1227)吉田の御所屋敷に行宮を営まれたと伝わっています。上皇は都や隠岐のことを偲ばれつつ歳月を過ごし、實喜3年(1231)37歳にして、この地で崩御されたとのこと。崩御されたと伝わる場所には御所神社が鎮座し、上皇が腹を切った「御腹石」なる岩も残されています。けっして大きくはない社ですがに菊のご紋が誇らしげです。
昭和25年7月8日、この『土御門上皇・清和天皇 祭典史』が宮内庁を通じて昭和天皇に献上された旨、通知されています。この丘そのものが、“後方前方墳” だとわかり「椎ケ丸古墳」 と名付けられ石碑が建てられましたが、その後の調査はされていないようです。徳島県はとにかく古墳だらけなので、調査予算もない地方自治体ではたいてい“埋め戻し”ということになってしまいます。
この寂しい小さな丘で、土御門上皇は都を偲ばれつつ歳月を過ごし、後に腹を切ったとの伝説を聞き、歴史の残酷さに思いを馳せています。
また、普段は訪れる人も皆無の神域は、小生の散策と思索の場として重宝しております。