昭和のあの頃
過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
それによって、心に喜びを感じさせる。
不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。
その19 銭 湯
銭湯とは、
もともと江戸時代の公衆浴場には、分類として風呂屋と湯屋があった。
水蒸気に満ちた部屋に入って蒸気を浴びて汗を流す、蒸し風呂タイプの入浴法で営業している浴場を風呂屋と呼び、沸かした湯を浴槽に入れ、湯を身体に掛けたり、浸かったりするタイプの入浴法で営業している浴場を湯屋と呼んで区別していた。
しかし、江戸時代中頃に入浴法の発達や、兼業して営業する業者が現れるようになった。喜田川守貞が書いた『守貞謾稿』(巻之二十五)の「京大坂にては風呂屋と俗に云ひ、江戸では湯屋と云ひ訛る」との記述があるように、地域によって呼び方は異なることはあるが、風呂屋と湯屋は混同されて使用されるようになった。
『その歴史』 日本に仏教伝来した時、僧侶達が身を清めるため、寺院に「浴堂」が設置された。病を退けて福を招来するものとして入浴が奨励され、貧しい人々や病人・囚人らを対象としての施浴も積極的に行うようになった。
太平洋戦争後、本格的に都市人口が増大すると、至るところで銭湯が建築された。1965年(昭和40年)頃には全国で約2万2000軒を数えるようになった。
尚、我が徳島県では 1996年(平成8年) に61軒あったが、 2018年(平成30年) には25軒にまで減少している。