河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

「芸術の秋」


          「芸術の秋」に思ふ。


「芸術の秋」本番中とのことだが、糞雑誌で「芸術の秋」という言葉が使われたことが、由来と言われてる。ちなみに「芸術の秋」という言葉は「美術の秋」が基になったとか。また、いろいろな芸術のコンテストや展覧会が開かれていることも由来の1つの様だが、

 

 

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意地悪爺さんから一言………。
世の中がある以上、「芸術」なんて無い様に見えても何処かに潜んでいるものだ。でも「これが芸術です」などと大真面目に言った途端にさっとシラケる。だから仮に「芸術」だと思っていても「いや別に何でもない」とか「これはただのイタズラですよ」「芸術なんて、そんな大層な」「滅相もない」とか言って逃げることで、やっと落ち着くのが世の中である。逃げずに「芸術」とか「作品」なる言葉を連発するのは、恥知らずの阿呆である。また近年、現代アートなる意味不明の造語が流行っているが、「芸術」なんてものは時代を超越してこそ価値があるのではないだろうか?「現代」と名乗っているのは、過去の歴代の「芸術」に負けたと自認しているのであろうか。

 

 

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数年前にFBFのM君に誘われて、アートで売り出している香川県直島を訪れたが、「大きなカボチャ」や「大勢のウルトラマン人形」が「現代アート」だと聞かされ驚いたものだ。制作した奴は、「○○を表現した」などと講釈師ばりに多弁を弄しているが、単に勿体ぶっているに過ぎないと思うのだ。寡黙こそが「真の芸術家」ではないだろうか。更に言えば、「芸術家気取り」の阿呆は、揃って「長髪・髭」で一般人とは違うと粋がっている姿も滑稽で哀れである。

我々の身の回りには「芸術」が溢れており、その「芸術」によって快適な生活が営まれていることに気付くべきではないだろうか? 「芸術至上主義」を崇めるかぎり馬鹿が蔓延り見苦しい社会になると警鐘を鳴らす次第である。

 

 

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