相変わらず支那、南朝鮮は、閣僚の靖國参拝について内政干渉を続けている。ただ、それ以上に憂うべきなのは、国内のメディアの騒ぎっぷりである。敗戦の日が近付くにつれ、日本のマスメディアは一様に、誰が参拝するとかしないとか、その問題を嬉々として報じる。この点において、靖國参拝を政治問題化させているのは、支那や朝鮮以前に、日本のメディアだということは一目瞭然だ。日本のメディアが焚きつけて、特亜が呼応するという構図は、慰安婦問題、教科書問題、憲法改正等々、既に制度化していると言っても過言ではない。
私は、麻生副総理の言った、「静かに参拝すればよい」という態度が、最も適切ではないかと考えている。騒ぐ方がおかしいのだ。靖國参拝は、「国家のために斃れた先人を如何に慰めるか」という一点に集中されるべきである。「日本の軍国主義化」などという、およそ日本人の感覚では理解できないような、無教養な論を展開している支那、朝鮮が、日本の神道の本質など理解できるはずもない。その無教養な主張にいちいち対応することなど、無意味であり、エネルギーの浪費でしかない。
重ねて述べるが、靖国神社とは、「国家のために斃れた先人を如何に慰めるか」という神聖な場所であることを全国民が再認識すべきである。