愛媛縣護國神社は、明治32年「私祭招魂社」として創建(現松山東署付近)され、大正2年新立町多賀神社に移設。その後、昭和14年内務大臣指定護國神社として、その創建が認められ、愛媛県民の総意により現在の社地を選定し、同年10月社殿竣工遷座申し上げました。社号は愛媛縣護國神社に改称、神饌幣帛供進神社、県社に指定されました。昭和20年7月戦災により焼失しましたが、復興奉賛会を創設し県内外の御遺族崇敬者の皆様方からの御浄財及び勤労奉仕により、昭和26年から造営に着手し、昭和30年10月現在の社殿が竣工しました。一時期、神道指令により社号を御幸神社と改称するも昭和27年9月平和条約締結により社号を愛媛縣護國神社に復称し現在に至っています。
零戦のプロペラ
このプロペラは太平洋戦争当時最新鋭機として活躍した日本海軍の零式戦闘機に使用された可変ピッチ式恒速プロペラのものです。昭和43年10月西宇和海で操漁中網にかかったものを回収し松山駐屯部隊に寄贈され、平成13年9月愛媛縣護國神社に移転しました。