河原文翠の日々是好日

降っても 照っても 日日是好日。泣いても笑っても 今日が一番いい日。

真空管ラジオ

 

                                   昭和のあの頃


               過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                    それによって、心に喜びを感じさせる。
                    不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


              その45    真空管ラジオ


「ラジオ」とは、電波を利用して報道・教育・教養・娯楽などを音声・音響で人々に伝達する放送のことで、またその受信機も指します。

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1926年(大正15年)に、東京・大阪・名古屋放送局を統合した「社団法人日本放送協会」が設立され、日本のどこにいてもラジオ聴取が可能になるよう、整備が進められていきました。そしてラジオは、「探り式鉱石」から電気電子回路の「真空管※」に代わり、スピーカーで大きな音量の放送が聴けるようになります。しかし、まだラジオが高価であったことや電池式で取り扱いが面倒だったことから、その後は受信者数が伸び悩みます。

 

やがて1930年代にはラジオの低価格化と品質の向上が進み、1931年(昭和6年)に起きた満州事変で(戦況や国内状況の情報が必要となったことから)受信者数が急増しました。また、政府が国防強化の面からラジオ放送を聴取することを奨励したので、一層ラジオの普及に拍車がかかりました。
※「真空管」とは、ガラスや金属などで作られた容器内部に複数の電極を配置し、容器内部を真空とし少量の稀ガスや水銀などを入れたものです。

 

テレビの普及により、ラジオの聴取者が減りましたが、世界中のラジオ放送を聴くことができるインターネットラジオの登場によって、現在、聴取者が再び拡大し始めています。さらに衛星や地上デジタルラジオも加わり、従来のアナログラジオ放送と共にラジオの多様化が進んでいます。

 

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お手玉

 

                                      昭和のあの頃


                       過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                           それによって、心に喜びを感じさせる。
                           不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                     その44       お手玉

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お手玉(おてだま、御手玉)は、小さな布袋に小豆や米、ジュズダマの実などを入れ、数個を1組にして縫い合わせた玩具のこと。また、それを使って遊ぶことを「お手玉をする」などという。 地方によって、じゅずだま、おじゃみ、オニンク(オニンコ)、いしなご(石子/石投/擲石)などと呼ぶところがある。

 

いろいろな遊び方があるが、歌にあわせ、手をつかって、一定のルールのタイミングで放り上げて楽しむようなものが一般的である。同時に複数の玉をほうり上げるなど難度をあげ、ジャグリングに似た要素があり、技巧の上達を楽しむことができる。
男の子がお手玉で遊ぶことはあまりなく、伝統的にも“女の子の遊び”である。

 

「手玉に取る」とは、少女たちがお手玉を巧妙に投げたり打ったりして遊ぶように、人を上手に操り、また、他人をあたかも物や道具のように扱うという意味の慣用句に用いられる。「手玉」には、装身具の「腕輪」の意味もあるが、ここではおもちゃのお手玉のことである。野球やクリケットの守備で、ボールを掴み損ねて送球に手間取ることを俗にお手玉という(ファンブル、ジャッグルの日本語訳)。

縁台将棋

 

                                     昭和のあの頃


                 過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                      それによって、心に喜びを感じさせる。
                      不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                  その43     縁台将棋

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縁台将棋(えんだいしょうぎ)は、夕涼みがてらに縁台で指す将棋のこと。転じて、下手同士が打つ将棋のことをさす。縁台に将棋盤を出して将棋を指すこと。

 

昔は縁台に二つ折れの将棋盤、一枚ものの将棋盤、縁台に升目を掘って墨汁を流し込んだもので将棋を行なっていた。これは隣近所の付き合いも関係している。しかし、現代は少しずつ死語になりつつある。将棋大会や将棋クラブと異なり、気軽に指すことができることから庶民に人気があった。

 

指し手の棋力は低いことが多く、アヒル囲いなど特定の戦法・囲いが多用されるなどの特徴もあり今日ではあまり上手でない将棋の代名詞ともなっている。

 

おもに夏の夕方に縁台と将棋盤を庭先や路地に出して将棋を指。ビールを飲みながら指すことも一般的であり、ほとんどの場合は夕涼みを兼ねている。路地で指す場合には通行人が観戦し、通行人をも巻き込んで熱中する姿も見られた。また銭湯で湯涼みを兼ねて指されることも多かった。

越中ふんどし

 

                                  昭和のあの頃


                 過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                      それによって、心に喜びを感じさせる。
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             その42     越中ふんどし

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越中ふんどしとは、ふんどしの一種。長さ100cm程度(3尺)、幅34cm程度(1尺)の布の端を筒に縫い、その筒に紐を通した下着である。一部ではクラシックパンツ、サムライパンツとも呼ばれている。医療用の下着であるT字帯も越中褌の一種。禊(水行)の時に使われる場合が多い他、一部の裸祭りでは六尺褌に代って、こちらが使われる場合がある。その着装法は、『守貞漫稿』によれば、「紐を通したる方を背にし、紐を前に結び、無レ紐方を前の紐に挟む也」という。

 

軍隊で支給された下着(官給品)であったことで全国に普及する下着となった。十代の少年が入校する陸軍幼年学校(13歳)や海軍兵学校(17歳)でさえ、入校したら、「娑婆っ気」を抜く目的で、下着を含めて一切の私物は自宅に送り返すように指導し、入校者に下着として白い越中褌を支給した。軍隊組織において、制服を始めとして、下着まで統一することで個性を否定して規律を維持する必要があったからである(現在でも軍隊では下着まで統一している国が多い)。

 

1965年(昭和40年)に肌着の自社ブランドを立ち上げた三越が、高級感を持たせるためや女性が代理購入する場合でも恥ずかしくないように越中褌クラシックパンツ」と命名して販売したため、他の百貨店などでもそう呼ぶようになったとの説がある。
2005年(平成17年)4月13日にテレビ番組『トリビアの泉』で取り上げられたことがきっかけとなり、翌日の銀座三越ではふんどしが午後3時で在庫100枚が完売、その後3日間で例年の1年分の約150枚、6月中旬までに例年の10年分1500枚、9月には5000枚までに売り上げが達し、買い求める女性客が目立つようになったことがあった。

めんこ

 

                                       昭和のあの頃


                 過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
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                      その41     めんこ

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めんこ(面子)とは、日本の子供の遊びで使われる玩具の一つ。めんこの語源は「小さな面」、つまり面子の意味である。めんこは、日本の昭和30年代においては、めんち、ぱんす、ぱっちんとも呼ばれていた。尚、小生の地域では単に「めん」と呼んでいました。

めんこには素材により、泥めんこ、鉛めんこ、紙めんこがある。
もっともよく知られた形態のめんこは紙製のいわゆる紙めんこであり、厚紙製の手の平大のカード型や円形で、片面に写真や図柄が施されている例が多い。また、その遊びそのものをも指す。カード自体がコレクションの対象にもなっている。駄菓子屋などで販売されているが、牛乳瓶のフタなどの適当な素材で代用することもある。昭和時代の日本では、子供の遊びとして広く流行した。

 

もっとも典型的な遊び方である「起こしのルールは以下の通りである。
                    地面にめんこを置く
                    別の者が別のめんこを叩き付ける
多くの場合、以上の競技手順は同じだが、あらかじめ地面に置かれた方の所有権の移転に関わる勝敗の決め方が、地方や集団によって異なる。所有権の移転がなされる場合の代表例を以下に列挙する。
                  あらかじめ地面に置かれためんこが「裏返る」
                  あらかじめ地面に置かれためんこの「下を通過する」
                  あらかじめ地面に置かれためんこが、規定の範囲よりも「外に出る」

 

地面に置くめんこの枚数は1枚の場合もあるが、複数の参加者が1人1枚、または、参加者1人2枚など、様々である。

氷冷蔵庫

 

                                     昭和のあの頃


                 過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                     それによって、心に喜びを感じさせる。
                     不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                   その40    氷冷蔵庫

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氷冷蔵庫が、始めて作られたのは明治41年(1908)のことだそうです。

私の家では、昭和30年(1955)ごろに買った冷蔵庫は、上の小さな扉のなかに氷を入れて使った氷冷蔵庫でした。氷屋さんは、自転車の後ろにつけたリヤカーに氷をつんできて、家の前に着くと、大きなのこぎりでシャキシャキと切り、台所まで鉄の引き上げばさみで運んでくれました。今の電気冷蔵庫のように沢山のものを何日も保存することはできなかったそうです。

 

氷冷蔵庫は、上下に扉がある木製。上の扉に氷を入れ、下の扉に食品類を入れる。こうすることで湿った冷気が下に流れ、食品の冷蔵を保つという仕組み。効果は氷が溶けるまで。保存効果の短さを、それほど問題にしなかった時代であった。

 

その氷冷蔵庫、寿命は長くなかった。神武景気が白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫三種の神器時代」をもたらし、その影に隠れるように静かに消えたのである。

赤電話

 

                                    昭和のあの頃


                過ぎ去った遠い日々に、思いを馳せる。
                     それによって、心に喜びを感じさせる。
                     不安なコロナ時代、良かったことを考えながら。


                     その39     赤電話

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委託公衆電話(いたくこうしゅうでんわ)は、電気通信事業者が駅・公共施設・テーマパーク・ショッピングセンター・商店などの構内に設置し、施設の運営者に管理を委託している日本の公衆電話である。電話機本体の色が赤い事から赤電話と呼ばれたこともあった。

 

施設の設置者が申請すると、NTTが設置の判断を行い、委託先と契約を行う。設置後は、料金回収・日常清掃・故障時の応急対応などを、施設の管理者が行う。
委託手数料は、毎月回収する通話料から相殺される。また、公衆電話通話料金の請求書は、他の電気通信サービスの請求書と一括して送付される。

 

自宅に黒電話が普及して、お互いの自宅同士では簡単に電話がかけられるようになりましたが、例えば、外出先のお店や公共施設から自宅宛に電話をかけたいことが、まれに良くあります。傘を持ち忘れて外出して雨が降った時に、到着した駅の軒下から「傘持ってきて!」と家族に連絡したい場合などです。昔のドラマでは良く見かける光景ですね。傘を持たずに外出すると、出先で傘を入手するのが困難な時代だったのです。

 

そんな中、出かけ先でも電話がかけられるよう、とある電話機が登場して人気を博しました。その電話機こそが……赤電話です!電話をかけるために必要な金額は10円から。例えば市外に遠距離通話をする場合、通話料が数秒/10円だった時代もありましたので、大量に10円玉を用意する必要がありました。

今ではIP電話であれば市外宛も市内も3分数円、海外でも1分数円といった時代なのですから、本当に電話代が安くなりました。有り難いことです。